― 段ボール産業の歴史 ―


 こんにちは、アサヒ紙工です。突然ですが皆さん、「段ボールの起源」をご存じでしょうか?通販や引っ越し、収納の分野などに大活躍の段ボール。私たちの身近な暮らしを支え、当たり前のようにそこにある段ボールですが、当たり前すぎるせいか、その生い立ちを知っているという人は多くありません。そこでこのページでは、知られざる段ボールの起源をご紹介するとともに、日本の段ボール産業の歩みにフォーカスしながら歴史を追っていきたいと思います。段ボールを取り扱うわが社としては、是非とも皆さんにお伝えしたいお話です。

1.はじまりは英国紳士 


 段ボールの発祥は19世紀のイギリスに遡ります。当時の紳士たちはシルクハットの着心地について悩みが……。嗜みのひとつとして流行していたシルクハットでしたが、生地が分厚いことで暑く蒸れやすいという難点があったのです。この問題を解決したのが、E.C.ヒアリーとE.E.アレンという人物です。彼らは、シルクハットの内側に取り付けることで通気性とクッション性をもたらす「しわ付き紙」を開発し、装着時の不快感を和らげることに成功、特許を得ます。これこそが段ボールの原点となりました。ただし、段ボールといっても、このときはまだ紙に段をつけただけの「操りっ放し」と呼ばれる状態です。とはいえ段ボールの原型が、箱ではなくシルクハットの汗止め材に使われていたということに驚かれた方も多いのでは?

2.アメリカで急成長


 1871年、段ボールはアメリカで初めて包装材として用いられ、わらやおがくずに替わるクッションとして、ガラス製品の輸送などに使われます。その後、操りっ放しの片側に紙を貼り合わせた「片面段ボール」、両方に紙を貼り合わせた「両面段ボール」、段ボールシートに溝切りと断裁を施した「段ボール箱」、などが次々に生み出され、19世紀の終わりには私たちに馴染みのある今の段ボールの姿が出来上がりました。

3.国産段ボールの父


 

 イギリスとアメリカでの進化を経た段ボールは、いつ頃日本にやってきたのでしょうか。日本の段ボール産業は現レンゴー(株)の創業者である井上貞治郎の手によって発展しました。1909年、貞治郎は綿操り機を応用し、苦心の末、ボール紙にたくさんの段を付けた「操りっ放し」の製造に成功します。そしてそれに「段の付いたボール紙」であることから、「段ボール」と命名するのです。今では知らない人はいない「段ボール」という言葉は、実は貞治郎のシンプルでありながら核心を突いたネーミングによるものでした。国産段ボール紙を技術的に完成させた功績を称えて、貞治郎は「日本の段ボールの父」と呼ばれています。

4.需要拡大と第二次世界大戦


 

 

 日本の段ボール需要は、第一次世界大戦の活況や震災復興などによって急増し、その後の木材や鉄の不足により、木箱から段ボールへの転換期を経てさらに高まりを見せます。1915年頃には操りっ放しと片面段ボール主軸から、両面段ボールの生産も増え、電球や医療品、化粧品や菓子類などへ使われるようになりました。そこから30年代半ばにかけて、蚕飼育用の箱やひな輸送用の箱、カニ缶詰包装や陶磁器の輸出用外装など、用途は多岐に求められるようになりました。板紙使用量は1940年には年間3.6万トンに達しています。しかし、第二次世界大戦の空襲が未来ある段ボール産業の行く手を阻みます。戦争は、日本の段ボール産業が持つ生産設備のほぼ全てを焼き尽くしました。

 

 

5.段ボールの地位向上


 

    

 

 ゼロからの再出発という試練から、どのようにして現在に至るまでの復活を見せたのか、段ボール産業復興の歴史を追ってみましょう。最大の追い風は、木材資源保護に対する官民をあげての取り組みでした。当時の内閣は「木箱から段ボールへの切り替え運動」を大々的に進め、産業界にまで浸透させた背景があります。また、朝鮮戦争(1950ー1953年)を抜きに段ボール産業の歴史を語るわけにはいきません。当時の日本は、未だ木箱全盛の時代。段ボールの使用量は全体の7%ほどという小さなものでした。しかし、朝鮮戦争を機に米国から送られる戦争物資の数々を見て当時の人々は驚きました。「あのアメリカが段ボールを包装資材として大量に使っている———」。それは新時代の包装の形を予感させるほどにセンセーショナルな出来事だったでしょう。朝鮮戦争をきっかけとして、日本の段ボール産業の地位は飛躍的に向上していくのです。

6.「包装革命」多様化するニーズ


 

 

 新幹線開通、東京オリンピック開催やいざなぎ景気等々、高度経済成長に沸く日本で、段ボール産業はさらなる発展を遂げます。第一にユーザーニーズの多様化です。耐水性能、プレプリント、強化段ボール原紙、白ライナにカットテープ、枚挙に暇がないほどに次々と新しい技術が製品化し、美粧段ボールや新形式箱の実用化競争が熱を増し、いわゆる「包装革命」の時代がやってきました。第二に国産製造機械の発展です。1970年代の段ボール産業の技術開発には目覚ましいものがあり、ついには欧米諸国と肩を並べるほどに成長しつつありました。しかし、一方で第一次オイルショック(1973年)の影響を受け、段ボール産業は2年続けてのマイナス成長を記録します。第二次オイルショック(1979年)においても、再びマイナス成長を記録。それでも、経済の立ち直りとともに順調な伸びを回復し、1990年における段ボール生産量は123.4億㎡とし、国民一人当たり99.8㎡を記録しています。 

7.段ボール産業のこれから


      

 ご紹介してきたように、段ボール産業は国の景気動向と密接に関連しています。1990年以降の段ボール需要は、バブル崩壊、円高、製造業の海外移転によるアジア諸国からの輸入急増などによって、その伸びは鈍化しました。それでも、日本人の生活構造の変化———家電や飲料、チルド食品や宅配便などが新しい需要を生み出し、段ボール産業の堅実な成長を支えています。リーマショック(2008年)に端を発する世界同時不況では、2年連続で成長率を落としますが、その後2016年には年間生産量が139.8億㎡となり、リーマンショック前の過去最高を上回りました。

 

 さて、成熟した段ボール産業の次の世代に求められるものとは何でしょう?ご紹介してきたように、段ボールはニーズに応える形で多種多様に発展してきました。そうです。きっと、ユーザー、流通業、小売業、消費者や回収業者まで、段ボールのサプライチェーンの様々な要望を解決する包装提案に鍵が眠っているはずなのです。

おわりに


 いかがでしたか?第二次世界大戦と二度のオイルショック、なおも乗り越えて復活する段ボール産業。ロマンがあってかっこいいですよね。こうやって順を追ってみると、段ボールという産業がいかに国内外の大きな経済の流れに依っているか、よく分かります。思いもしない「段ボール発祥のひみつ」。そして、日本の段ボール産業の父、「井上貞治郎」の苦闘と栄光の日々。少しでも興味を持っていただけたら、そして当たり前にそこにある段ボールを、いつもとちょっと違った視点で見ていただけたならうれしいです。それでは!